法然上人と増上寺
法然上人の誕生から、現在まで。増上寺に関する日本の歴史をご紹介いたします。
法然上人(ほうねんしょうにん)とは?
法然上人の肖像画
法然は、浄土宗の開祖です。
長承2(1133)年、美作国(現在の岡山県)に押領使・漆間時国(うるまのときくに)の子として生まれました。
9歳の時に父を殺された法然は、その遺言によって出家し、比叡山に登ります。
そして、承安5(1175)年、43歳で「浄土宗」を開きました。
浄土宗は、"救いは念仏を称えることで得られる"という「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の教えを中心としていました。
ただひたすらに念仏を称えることで、いつでも、どこでも、誰もが平等に阿弥陀仏に救われて、極楽浄土に往生することができる。
そうした「他力」の教えでもある浄土宗は、そのわかりやすさも手伝って、公家や武士だけでなく、経典を学び、寺院へ寄進や参詣する余裕のなかった多くの民衆にも希望を与え、日本全土に浸透しました。
一方で、浄土宗は、伝統的な仏教の強い反感も招きました。
建永2(1207)年、法然は75歳で、ついに、讃岐国に流罪となります。
赦免された法然は、建暦元(1211)年には京に帰りましたが、その翌年、80歳で生涯を閉じられました。
浄土宗の発展と増上寺
法然の死後も、浄土宗は弟子たちの布教によって発展していきます。
室町時代には、浄土宗の伝法制度を確立した了誉聖冏(りょうよしょうげい)上人(浄土宗第七祖)、増上寺の開山である酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人(同第八祖)へとその法脈は伝えられていきます。
平成23(2011)年、法然上人が入滅されてから800年という節目の年を迎えました。
これからも、法然上人のみ教えは、現代に生きる多くの人々の心に深く刻み込まれ、社会を救う力となっていくことでしょう。