厳しい冬が過ぎ春陽麗和の好季節を迎えました。
さて今月のことばは、法然上人が浄土宗を立ち上げられた主旨を述べた「浄土宗立宗の御詞」として知られるご文に致しました。この言葉は各お伝記に記載されていますが、今般は『勅修御伝』巻六より選んでみました。内容は、私が今浄土宗を立ち上げた理由は、阿弥陀様がすべての人を救うため48の本願を発しその成就のため永い修行をされた報いとして建立された極楽浄土(報土)に凡夫が往生することができることを伝えるためです。
凡夫とは自ら覚ることができず、貪・瞋・痴の三毒煩悩により煩い悩み苦しむごく普通の人間を指しており、法然上人は人間皆凡夫という人間観に立脚しています。
法然上人の生まれた平安末期は律令制が乱れ始め、その歪みが全国に及び貴族や武士が入り乱れて戦いに明け暮れる世相でありました。上人の生家である美作の里も同じで、父上漆間時国公も上人9歳の時非業の最期を迎え一家は離散、上人は出家の道を選ばなければなりませんでした。これは地方だけではなく中央はなおさらで、世にいう保元・平治の乱、まさに日本中が末法の世でありました。
人々は憎しみ、恨み、悲しみ、怒りの心に支配され、まるで鬼と化し地獄絵そのものと『方丈記』に記されておりますが、上人は人間の恐ろしさやおぞましさ、浅ましさを見つめていたのです。上人はこのような現実では善を修め悪を廃して覚りを得ることはできないと考え、阿弥陀様の慈悲の結晶である本願に身を委ねていく本願念仏の道しかないと確信されるのです。
苦節28年、時に上人43歳、善導大師の『観無量寿経疏』の「順彼仏願故」のご文章に接し、にわかに回心されました。これを浄土宗立宗と申し、来る令和6年には850年を迎えることになります。
時代は移り現代は一見豊かな社会のようですが、一方でわがままや自己中心の行動に支配されているようです。しっかりお念仏を申してまいりましょう。
教務部長 井澤隆明