コロナ感染による緊急事態宣言が解除され少し安心しましたが、この先どうなるかがわからず心配でもあります。

 さて今月のことばは、法然上人がお隠れになる2日前の建暦2年1月23日に、18年間常随給仕された愛弟子で知恩院を相続された勢観房源智上人に授けられた「一枚起請文」より選びました。

 内容は浄土宗の教えに念仏を称える者は、『観無量寿経』に説かれる三心つまり、至誠心(まことの心)・深心(深く信じる心)・回向発願心(浄土に往生したいと願う心)という三つの心を保ち、また善導大師の『往生礼讃』に述べられている四修、つまり恭敬修(うやまいながら)・無余修(一筋に)・無間修(おこたらず)・長時修(いつまでも)という4つの実践徳目を行うよう示されています。

 しかしながら法然上人は、続いて間違いなく往生できるのだと決めて(決定)ひたすらにお念仏を申せば、ひとりでに三心四修は具わるのですと述べています。

 お念仏とは阿弥陀様のご本願でお悟りの心が凝縮しており、すべての功徳が納められているのです。声に出して称えればたった1秒、文字で書けばわずか6文字ですが、その中に阿弥陀様がお入りになっているのと同じなのです。だから私たちはお念仏を称えるだけで阿弥陀様の心に触れ、包まれ救われていくのです。

 このようにお念仏には大いなるはたらきがあるのに、あまりにも簡単なので私たちはなかなか信じられず、お念仏はどのような心や態度で申すべきかなどと疑いや迷いが起こってしまうのです。

 念仏信仰を進める手立てとしての三心四修の教義であるが、ただ一向に念仏すべしとのこのご法語の結語のように、ただ申すことが大切です。智者のふるまいをせず、己の計らいを捨ててただ申すことに尽きるのです。

教務部長 井澤隆明