法然上人は文治元年(1185年)53歳の時、慈円僧正のお招きで、聖徳太子が建立された大阪の四天王寺を参詣されました。その時西の門から入日が沈んでいく様を御覧になって沈む夕日を見ながら極楽浄土を想う日想観を行ったといわれています。そこへ三論宗の明遍僧都という方が訪ねられてお念仏を一生懸命称えようと思うが、あれやこれや心の中に様々な思いが起こってきて、念仏一本になりきることができません。そこで「心が散ってしまう念仏をどうしたら一つにすることができるでしょうか」と質問をされました。
すると法然上人は「一心にお念仏をお称えしようとしてもあれを思いこれを思う、様々な雑念が入ってしまうのは仕方のないことであります。そういったすべての雑念を払ってお念仏をお称えしようとすることは、自分の体から耳を取り目を取り鼻を取り、そうしてお念仏をお称えしようとするのと同じことです。つまり耳や目や鼻は生まれた時から付いているものであるように、心の煩悩というのも生まれたそのときから育ってきているものであります。だからそれを取り去らなければ本当の念仏にならないということを考えても、それは無理なことです。様々な煩悩というものは、お念仏をしているうちに自然と気にならなくなります。ですから、まずお念仏をお称えすることが肝心であります」と、その疑問にお答えになり、その時にお詠みになったのがこの「うつせみの和歌」であるといわれております。
「阿弥陀仏と心は西に空蝉の もぬけ果てたる声ぞ涼しき」、前半の「阿弥陀仏と心は西に空蝉」はひたすらに蝉が鳴いている如くに、色々な雑念にかまわず、ただひたすらに南無阿弥陀仏と極楽浄土に心を向けて空蝉のようにお念仏をお称えするという意味です。「空蝉」という言葉を広辞苑で引きますと「現身」と書いて「うつしみ」と出ています。現身という生きているこの体、そこから転じた言葉がうつせみです。次に「もぬける」というのは関西でよく使われるようですが、抜け殻のことです。空蝉のようにお念仏をお称えしていくうちに、色々な自分の苦しみ、心の悩みなどから抜け出して、涼しい声になってただひたすらに阿弥陀様の極楽浄土を願って、お念仏を申すことができるようになる、それが「もぬけ果てたる声ぞ涼しき」の部分の意味です。
この世に現存するこの私が、もぬけた殻だけで中身がないような状態になってお念仏をお称えすることができるようになるということは、現に生きているこの私が本当に抜け殻で声だけになって存在しているようである、そういう自分になりきってお念仏をお称えすることができるようになります、ということをお詠みになったのです。
大本山増上寺88世法主 八木季生大僧正台下 著『こころの歌』より
(文責 教務部長 井澤隆明)