迎春 本年も阿弥陀様の慈光に浴し、良き歳でありますよう念じております。
今年最初の今月のことばは、法然上人撰『三部経釈』より選んでみました。
この『三部経釈』は、文治6年(1190年)法然上人が東大寺重源様の要請にて、東大寺に於いて浄土三部経を講説された時の講録です。重源様は宗祖の高足で俊乗房といい、治承4年(1180年)平氏によって焼失した東大寺の再興勧進職に、法然上人の推挙により就任されたお方であります。
さて今月のことばの内容は、阿弥陀様は前身の法蔵菩薩(因位)の時に、ひたすらに私の名を称える者を、私が建立する浄土に迎えようと誓って、永い永い修行をされその功徳を、すべての人々に回し向けられました、となりますが、ここで留意しなければならないことは回向という言葉です。
一般的に回向という場合は、仏事などで亡き人のために献花、焼香、読経、念仏等に努め、その功徳を亡き人にふり向けることをいいます。
ところで大乗仏教では「上求菩提 下化衆生」といい、自らは覚りを求め、人々のために幸せを念じ覚りに向かわせるよう精進することが求められます。
法蔵菩薩も覚って仏となるよう努力すると共に、その修行の功徳をすべての人々に回向したいと誓って、この願いが成就しなければ仏にはならないと修行に励まれたのです。経典によると兆載永劫という永い時間、六波羅蜜等の大乗菩薩の修行を成就し、今から十劫の昔に阿弥陀仏となられたとあります。つまり私たちは知らずとも阿弥陀様に、そのみ名を称えれば必ず浄土に往生することを願われ実現し、さらに回向されているのです。
だからこそ私たちはお念仏の深まりの中に護られている幸せ、願われている幸せ、生かされている幸せという心境になるのです。これが安心の中に生きられる人生であります。
まるで外で遊ぶ子供が時々振り返り、母の存在を確かめ安心してまた遊びに夢中になるようなもので、まさに護られている幸せであります。しっかりお念仏を称えましょう。
教務部長 井澤隆明