今月のことばは、法然上人が66歳の時に著し、浄土宗の要義を示した『選択本願念仏集』より選びました。意味としては二百十億もある諸仏の浄土の中で、念仏は浄土に生まれる修行として最も勝れた修行です、となりますが、原典は『無量寿経』上巻に説かれています。
それによると遠い遠い昔錠光仏という仏がお出ましになり教化をし、やがてお隠れになった。さらに続いて五十二仏がお出ましになり、五十四番目が世自在王仏であります。時にこの仏の説法を聞いた法蔵という菩薩が感動し、私も速やかに覚りを求め多くの人々を救おうという無上の志を発しました。そして法蔵菩薩はあらゆる浄土の荘厳や修行を参考のため示してほしいと仏に願われました。
世自在王仏は法蔵の崇高な決意を知り、次のように教えを説かれました。
大海の水を一人で小さな器で汲み出したとしよう。どんな困難でも、長い時間をかけ取り組んだならば、やがて海水を汲み干し海底にある宝を手に入れることができるように、いかなる願いでも必ず叶うであろう。
そしてたちどころに二百十億のあらゆる仏の世界のすべてを現わしお示しになりました。法蔵菩薩は諸仏の浄土の荘厳やそこに住む人々をつぶさにご覧になり、選取つまり粗を捨て妙を取り、さらにどこの浄土にもないこの上なく勝れた誓願を起こしました。この誓願とは、私はこの願いが成就しなければ決して仏にはならないと誓った願いであり、具体的には四十八の本願であり、中心は念仏往生の本願であります。四十八願の完成のため法蔵菩薩は世自在王仏の教示のように兆戴永劫という長い修行をつとめ、やがて覚りをひらき阿弥陀仏という仏に成られますが、これは誓願(本願)が成就していることを示しています。このように経典の記述は、二百十億というあらゆる浄土の中で阿弥陀仏の極楽浄土が最高最善の浄土であり、あらゆる修行の中で念仏が最も勝れた行であると述べています。
先月号に続き本願念仏の絶対性を別の角度からお話してみました。尊いお念仏をしっかりお称えしてまいりましょう。
教務部長 井澤隆明