今月は涅槃会法要がありますが、この法要はお釈迦様が亡くなった(涅槃)2月15日の命日に行われます。80歳で涅槃に入られたお釈迦様の生涯の教えは本願念仏に帰一すると法然上人は受け止められました。
今月のことばは、この本願念仏についてわかりやすく伝えた法然上人の言葉を「浄土宗略抄」より選んでみました。この書は別に「鎌倉二位の禅尼に進ぜられし書」といわれるように、源頼朝公の正室である北条政子様に送られたもので、浄土宗義の要諦を教示したものです。政子様は頼朝公の死後、鎌倉幕府の実務を担当し尼将軍とも呼ばれた人ですが、法然上人に深く帰依された人でもあります。
今月のことばの意味は、お念仏をもっぱら修する人は、十人は十人すべてが、百人は百人すべてが往生します、となります。
「浄土宗略抄」ではさらに続いて、念仏以外の行を修する人は、百人中一人か二人、千人中四人か五人しか往生できませんとあり、お念仏の絶対性が述べられています。
また同様の文章が善導大師の『往生礼讃』にも見られることから、宗祖はこれを参照されているものと思われます。
なぜお念仏の救いが絶対であるかといえば、当然ながら阿弥陀様の本願であるからです。本願とは『無量寿経』によると、昔法蔵という菩薩がすべての人を救うために四十八の願い(本願)を立てて、この願いが成就しなければ私は仏とならないと誓って(誓願)、永い永い修行を積まれ、やがてこの願いのすべてが叶って阿弥陀仏という仏になられたと記されています。つまりすべての願いが成就しているということは、その中心である十八番目の念仏往生の本願も実現しているのです。だから私たちはお念仏をするとそれだけで、阿弥陀様の心に触れ、包まれ、救われてやがて往生することができるのです。
仏心とは大慈悲なりと『観無量寿経』に説かれていますが、お念仏には阿弥陀様の大慈悲心が凝縮しているのです。だから分け隔てなく十人は十人ながら、百人は百人ながら救われていくのです。
しっかりお念仏を申しましょう。
教務部長 井澤隆明