東京や一部の地域では7月にお盆を迎えます。お浄土に往生されているご先祖様を迎えご供養致しましょう。
さて今月のことばは、元久元年(1204年)の山門(比叡山)念仏迫害の折、法然上人が門下の聖覚法印に命じて浄土宗義を明らかにし、かつ念仏門の独立すべき理由を書いて山門に送った書状で、非常に格調の高い名文として知られている『登山状』より選びました。
仏教とは本来仏成教といわれ、さとり(菩提)を得て仏に成る教えという意味です。
そのさとりを得る方法の入口・門として、大乗仏教を聖道門と浄土門の二種の法門に分ける見方をされたのは、中国唐の善導大師の師匠である道綽禅師であります。
聖道門は自力教・難行道ともいわれ、この現世の国土(穢土)において自力の行を修してさとりを得る聖者の教法で、かたや浄土門は往生浄土門・他力教・易行道ともいい、阿弥陀仏の本願他力に乗じてまず極楽浄土に往生し、環境のすぐれたお浄土でみ仏の導きをいただき、やがてさとりに至らせていただく教えであります。
しかしながら法然上人は『選択本願念仏集』の冒頭に道綽禅師の言葉を引用し、「今の時代では自らさとることは困難です。その理由は釈尊が入滅されてから長い年月が過ぎ、また真理は深く我々にはそれを理解する力がないからです。だからこそ浄土門しかさとりに通じる道はありません」と述べています。
思えば私たちは何一つ修行らしきこともできず、ずるい心、怠けの心、欲深の心、恨み、ねたみ、嫉妬......数えたらきりがないほどの煩悩の塊として生きているのです。こんな私はとても自らの力ではさとることができません。このような煩悩具足の私たちが、さとりを得て成仏するには浄土門しかありません。しっかりお念仏を称えてまずはお浄土に往生させていただきたいものです。
教務部長 井澤隆明