暑い毎日が続きますが早いものでお盆の月になりました。全国的には八月がお盆でありますが東京は七月です。
さて法然上人は各地の念仏者に多くのお手紙を通して念仏の要点を伝えられ、それらの多くがご法語として現存しております。
これらの厖大なご法語の中で東西の横綱に例えられるのが「一枚起請文」と「一紙小消息」であり、浄土宗の人は毎日どちらかを拝読することになっております。増上寺で発行している『浄土宗のおつとめ』でも漢文の方には「一紙小消息」が、和文のおつとめには「一枚起請文」が載せられています。
ところで「一枚起請文」は結語にて「ただ一向に念仏すべし」とあるように、特に念仏の「行」に重点が置かれています。
また今月のことばに致しました「一紙小消息」の冒頭の部分の意味は、仏の教えが伝わらない末法の時代に悪業を重ねて生きるこんな私が、わずかだけの念仏でも往生できるということを疑ってはなりませんとなり、疑ってはならない、つまり信じることが大切であると「信」を強調されています。
この二大ご法語共に念仏の教えの要点を網羅していますが、それぞれ行と信を強調されているところに特色があります。
「一紙小消息」ではさらに「罪人なりとても疑うべからず」、「時くだれりとも疑うべからず」、「我身わろしとも疑うべからず」、「本願に乗ずることは信心のふかきによるべし」、「信じても猶信ずべきは必得往生の文なり」など何度も信じることの必要性を述べられています。
このような視点で二大ご法語を見ると、法然上人は信と行が共に大切であるとしますが、すでに法然上人の時代に安心派と起行派に分かれて論争があったことも知られています。
しかしながら信仰は「体解」するもので全身全霊で受け止めるべきものであり、行が信を深め、信が行を励まし、まるで車の両輪の関係であるべきです。
教務部長 井澤隆明