桜花爛漫の春四月。今年もまもなく法然上人御忌大法要を迎えます。多くの皆々様のご参詣を心よりお待ち申し上げます。

 さて今月のことばは「聖覚法印に示されける御詞」より選びましたが、このご法語は法然上人のお伝記である『勅修御伝』や『十六門記』に所収されております。

 聖覚法印は安居院法印ともいい、比叡山竹林院を本坊とする京都の里坊である安居院に住んだ天台僧であるが、法然上人に帰依された、お経のお唱えである唱導や説法の大家でもあった人であります。

 現代文にすると、ある時法然上人は浄土宗の教えを学ぶ者は、まずこのことを知るべきです。縁のある人のためには、身・命・財を投げ捨ててひたすらに浄土の教えを伝えるべきです、となるでしょう。

 私たちはよく幸福とはどんな状態かと聞かれると、健康で長生きでお金もたくさんあることと答える人が多いのではないでしょうか。しかしよく考えれば、元気で長生きしているが故に妻子とお別れし孤独の中で寂しさに苦しんでいる人や、どんなにお金があっても病気で動けず使うこともできない人や、相続で子供たちが臨終の枕辺で醜い争いをしている家庭など、いずれも幸福にはほど遠く、本当の幸福とは何かを考えさせられます。身・命・財これらはあくまでも幸福の条件の一つであり、あてにはならないものなのです。

 お釈迦様は、本当の幸福とは明るく、正しく、仲よく(三宝帰依の精神)生きる中にこそ見つかるものであり、さらに法然上人はこの思いはすべてお念仏の中に含まれるとされています。だからこそ身・命・財を投げ捨てて浄土の法門、つまりお念仏のすばらしさを伝えるべきと強調されているのです。
現代社会においては本末転倒身、命、財にだけ目が向いてはいないでしょうか。

 しっかりお念仏を申してまいりましょう。

教務部長 井澤隆明