仏教は悟りを得て仏になる(成仏)ことを究極の目的とし、そのために様々な修行を通じて実現を図っていくのですが、まとめると戒・定・慧(三学)を極めることに尽きるといわれています。
戒は正しい生活、定は清らかな精神統一、慧は知識ではない真理に基づいたものの見方ができる力でありますが、法然上人はこの三学を実践することができない者であると自らを深く内省し、阿弥陀様の大慈悲にすべてをゆだねる本願念仏に帰入されたのであります。
この三学のうち、定について浄土宗第二祖聖光上人に伝えられた法然上人の言葉を今月のことばと致しました。現代文にすると、「また私たち凡夫の心は物事にとらわれて移りやすく、あたかも猿のようで、実にあちこちと散り乱れて落ち着かず、一つの境地に定まりにくいものです」となるでしょう。
私も朝の勤行でひたすらお念仏を申していると、外で犬がワンと鳴くと心が乱れ、さてどうしたかなと心が向いてしまいます。本堂に朝参りの方 が玄関を開けると、誰が来たのか、ローソクの炎が揺れるとどこか窓が開いているのか気がかりです。一つも心が定まらずころころ移り変わり、一時 も定まることはできません。ましてや極楽浄土のお姿や阿弥陀様に心を集中し止めることなどできません。もしできたならみ仏と相見えることとなりたちどころに悟りを開き成仏するでしょう。
法然上人は現実の人間は、勝った敗けた、損した得した、好きだ嫌いだ等を価値判断の基準にして自己中心に揺れ動く心で毎日生活している凡夫であると見定め、まるで猿が激しく枝を動いているようなものとされています。
こんな私たちのために発されたのが阿弥陀様の大慈悲の結晶である本願念仏であります。
しっかりお念仏を申してまいりましょう。
教務部長 井澤隆明