桜花爛漫の御忌法要も過ぎ、境内も新緑の美しい季節となりました。

 さて今月のことばは、建永の法難で四国配流の時七十五歳となられる法然上人と再び会えないかもしれないという、深い絶望の悲しみの中に落ち込んでいる多くの門弟に語りかけた宗祖の言葉の一節であります。

 このご法語は『黒谷源空上人伝』(『十六門記』ともいう)の中に収められています。作者は天台僧であるが、法然上人に帰依したことで知られる安居院の法印聖覚様であるが、この伝記の成立は早く、法然上人の研究にとっては好資料の一つになっています。

 会者定離はこの世の定めというフレーズは、お葬式の弔辞の冒頭によく聞く言葉です。いつの時代も諸行無常はこの世の定めにもかかわらず、人情の世界においては悲しみの極みであります。このような有限なる存在である私たちに手を差し伸べ、永遠に生きる極楽浄土の世界をかまえていただいたのが阿弥陀様であります。

 『阿弥陀経』では極楽浄土の世界の特色を「倶会一処」の世界であると説かれています。これは念仏をする者は先立つ人、遅れてゆく人、いずれも再び会うことができる世界であり、この世の別離の悲しみは一時の悲しみ、再び浄土で再会を果たせる世界であると述べられています。

 今月のことばのように、今生の別れと嘆き悲しむ多くの門弟に"会えるじゃないか、またお浄土で"と熱く語りかける法然上人の浄土信仰、特にお念仏への力強い決意と信心にどれほど希望と安らぎを得たことでしょう。

 私たちもこれまで、多くの悲しい別離を体験して参りましたが、しっかりとお念仏を申しお浄土での再会を果たしたいものです。

 さきだたばおくるる人をまちやせん
 はなのうてなのなかば残して

教務部長 井澤隆明