今月のことばは前月と同じ『黒谷上人語燈録』に収録されている、浄土宗第二祖聖光上人に伝えられた『聖光上人伝説の詞』より選びました。
このご法語は法然上人の浄土宗開宗以前の様子を知ることができる貴重なものです。
法然上人の求道の生活は厳しいもので、聖道門の修行の徳目である戒・定・慧の三学を極めようとするものでありました。このことについては諸種の資料に「知慧第一の法然房」「持戒堅固で清貧な僧」などと法然上人を指す記述からもうかがい知ることができます。
しかしいくら修行を積んでも法然上人は、戒律を守り、心を統一し、知慧の目を開くという戒定慧の三学を極める器ではないと自らを深く内省され、やがてこんな自分に相応しい法門はないだろうかとの視点に立たれたのであります。
このことについて畏れ多いことではあるが、私は次のように思っております。
法然上人はいくら行を積んでも、夜襲をかけ父の命を奪った源内武者定明のことを忘れることができず、憎しみの心を捨てることができなかったのではないか。また必死に止める母の言葉に耳を貸さず、母一人を美作に残し遠い比叡山へ旅立って一年、母が亡くなったことを知り、結果的に自分が母の寿命を縮めたのではなかろうかなど、一人の人間として生きる苦しみに悩み続けたのでないでしょうか。
ここにわがごときは三学の器にあらず、三学の他にわが心に相応する法門ありやという法然上人の心の叫び、絶望が凝縮されているような気が致します。ご法語にはさらに悲しきかな悲しきかな、いかがせんいかがせんと記されています。
この心の中にやがて善導大師の『観経疏』の「順彼仏願故」の一文が目に止まり、阿弥陀様のご本願にすべてをゆだねていく、念仏往生の救いが開かれていくのです。
この自らを深く省みることこそが浄土門の入口であり、法然上人の原点なのです。
教務部長 井澤隆明