新年を迎えますますのご健勝を念じております。
さて、本年初の今月のことばは、元久元年(一二〇四)の法難の折に、法然上人が門下の聖覚法印に命じて浄土宗義を明らかにし、山門に送った『登山状』の一節にしました。
私たちは今、六道輪廻を繰り返し永い旅の辺に、生まれがたき人間界に生まれ、出合うことのできないみ仏の教えに遇うことができましたという意味であります。
仏教では私たちの生命は現世だけではなく永遠の過去から生まれ変わり死に変わり迷いの世界(六道輪廻)を生きてきた(多生嚝劫)存在であるとの受け止めが根本となっています。
法然上人はまず第一に、人間として生まれたことを素直に喜ぶべきであると、次のような譬話をされています。人として生まれたことは梵天(天上界)より糸を下して、大海の底にある針の穴にその糸を通すような稀なことであり、いかに人として生まれることが難しいことであるかを述べています。
私たちはよく「私を勝手に産んで」、「生まれなきゃよかった」との言葉を耳にしますが、世界中誰一人として自分の都合で生まれた人はおりません。ましてやこの地上に生きる幾百万種にも及ぶであろう生物の中で人間として生まれてきたことの尊さは計り知れません。人として生まれてきたからこそ多くの人と出会い、広く知識を深め、悩み苦しみながらもそれを乗り越え、本当に生きる喜びを得ることができるのです。さらに人として生まれたからこそみ仏の教えに遇い、生きる意味や目的、そして真実に生きることを体得できるのです。
現代社会は一見平和で豊かな世の中に見えますが、その内面は不平等や不条理なことも多く、苦悩の蔓延する社会でもあります。
しかし法然上人は、人として生まれ、仏の教えに遇う喜びをしっかりまず最初に、かみしめましょうとお勧めいただいております。
年頭に当たり南無阿弥陀仏といのちに乾杯致しましょう。
教務部長 井澤隆明