春先の奥信濃を訪ねたことがあります。とある御寺院の行事のお手伝いでした。中腹にスキー場が見える山の裾野に建つそのお寺。あたりはまだ一面の銀世界でしたが、春の陽射しが雪の表面を解かして湯気を立たせ、坂道の側溝には雪解け水が勢いよく流れていました。陽当たりよく雪解けが進んだ斜面では、ところどころに地面が現れ、雪の下を流れる雪解け水が解けて凝縮した雪をトンネル状に貫いていました。まさに雪国の春と見入っていると、雪のトンネルの奥で一輪の「ふきのとう」が咲いているのに気がつきました。

 「花は自らの時に咲く」といいます。遺伝子がなせる業とはいえ、種であった間は積み重なる雪の下で一人じっと時を待ち、やがて根を張り、雪越しの陽を感じてか芽を伸ばし、そして花を咲かせる。孤独な雪のトンネルの中であろうと、ふきのとうは自らが考え自らが決断し、今こそその時と、花を咲かせたのです。

 複雑な人間関係の中では、人は時に本来の自分をへし曲げ、己を見失うこともあるでしょう。ブッダ(お釈迦様)は「他人が道理に逆らうのを見るな」と諭され、他人の干渉に囚われるな、自分がしてきたことは何か、してこなかったのは何か、それを省みることが大切だと説かれました。立ち帰るべき本来の自分を見つけ出しておけということでしょう。

 浄土宗の宗祖、法然上人は晩年、権力者から弾圧され京の都からの追放が命ぜられました。動揺するお弟子の一人が「念仏往生の教えを説くのを思いとどまっては」と進言しますが、上人は「命を落とすことになっても教えを説く」と己が己であるための道を貫かれました。

 春、3月は旅立ちの季節。自ら考え、自ら決断する。己が己であるための道を歩んでみたいものです。

教務部長 袖山榮輝