江戸時代の俳人小林一茶はある年の正月元旦、前年に生まれた愛娘にちなんで、
這へ笑へ二つになるぞ
けさからは
と詠んでいます。生まれて1歳、新年正月を迎えて2歳。数え年では誰もが正月元旦に一つ歳をとります。0齢児でも2歳と数える。誰もが同時に歳を重ねる正月には確かに喜びがありましょう。
人としてこの世にいのちを授かることは文字通り「有り難く」、ときに奇跡的と評されます。しかし、その「有り難いいのち」は脆くて儚く、人は必ず死に至ると釈尊(お釈迦様)は念を押します。明日もまたいのちがあるというのは当たり前のことではない。それ以上に正しい教えを聞くことも、覚りを開いた人に出会えることも当たり前のことではない、奇跡の中の奇跡である。だからこそ何としても正しい教えを求め、御仏の救いを求めよ、というのです。
そうした釈尊の思いを承けてか、法然上人には次のようなお言葉があります。
うけがたき人身をうけて、
あいがたき本願にあいて、
おこしがたき道心をおこし
て、はなれがたき輪廻の里
を離れて、生まれがたき浄
土に往生せん事、悦びの中
の悦びなり。
(『一紙小消息』より)
聞き難いという中に正しい教えを求めた法然上人は、あい難いという中に阿弥陀仏の救いを見出し、念仏による極楽往生を確信されて、その心情を「悦びの中の悦び」と仰せになりました。
新年を迎えることのできた私たち、顧みれば悲しい別れもあったことでしょう。「這へ笑へ」と詠んだ一茶の娘も3歳を迎えることができませんでした。儚くもたもち難いいのちの私たちです。亡き方への思いも胸に、「悦びの中の悦び」を求めてお念仏を称え続ける。そのように今日のこの一日一日を過ごしてまいりましょう。
教務部長 袖山榮輝