車の運転中、「えっ、私?」と戸惑いつつも、警察官から交通違反切符を切られた経験はありませんか。事故を起こさない、違反をしない。当然の心がけですが、「えっ、私?」と気付かぬまま違反してしまうのが人間です。

 「〇〇しないこと」を心がける。仏教の中にも例えば「十善」という教えがあります。

 「生き物を殺さない」「盗みをしない」「みだらな男女関係にならない」「嘘をつかない」「心にもないことを言わない」「汚い言葉づかいをしない」「二枚舌を使わない」「欲にかられない」「怒りにまかせない」「自分勝手な考えに陥らない」

 どれも「ごもっとも」と納得するばかりです。しかし、よくよく自身を省みれば、これまでに犯していない、これからも犯さないと言い切れる自分がいるでしょうか。「〇〇しない」だけでいいのに、それが成し難い。そこに「善」と示されるゆえんがありましょう。

 そもそも過ちを犯すのが人間です。完璧な人間など存在しません。阿弥陀仏や極楽世界を説き明かす『無量寿経』は、仏の世界は誰もが善行に勤しみ悪行を犯さない仕組みになっているが、この世界はそうではなく悪行を犯しやすいと説き、そうした中、あえて善行を修めるのは尊いことと強調します。この世界で修める十日十夜の善行の功徳は仏の世界で修める千年の善行に勝る、と。この教えが「十夜法要」を勤める根拠となっています。

 ところで自分では気付かぬまま「えっ、私?」と過ちを犯す私たちに、どれほどの善行がかなうのでしょう。『無量寿経』は数ある善行の中でも、お念仏を称える功徳は極めて大きい、最も勝れていると力説します。お念仏であれば十日十夜といわず毎日でも称えられます。皆さんなら、どうしますか。

教務部長 袖山榮輝