日本の風物詩とまでいわれた映画シリーズ『男はつらいよ』。真っ正直で人間味あふれる主人公「寅さん」の姿は今もって魅力的です。この映画、時折、仏教的な考えが垣間見えます。とあるシリーズ、失踪してしまった夫君を探す御婦人に寄り添う寅さんの姿が秋の風景とともに描かれます。寄り添ううちに案の定、御婦人に恋をする寅さん。このまま夫君が見つからなければいいとさえ思ってしまいます。しかし、そうした自分に恐ろしさを感じた寅さんは「俺は醜い」と自分を責め立て落ち込みます。すると義弟の博がこういうのです。「兄さん、もういい。それ以上自分を責めないでください」「自分の醜さに苦しむ人間は、もう醜くありません」。
この言葉で思い起こされるのが、ブッダ(お釈迦様)の
愚者が「愚かだ」と自覚するならば、その者は賢者でもある。
一方、賢者であると思い上がる愚者のことを「そういう者こそ愚者である」と人は言う。
との教え(『ダンマパダ』63偈)です。
人間には過ちや失敗がつきものです。その過ちや失敗を自分自身の問題として捉えるのか、誰かのせいにしてしまうのか、そこに賢さと愚かさの境目があるというのです。自分の至らなさを自ら認め、無力感に苛まれる感情を覚える時、実はその感覚こそが新たな自分を育んでいく。自分の過ちや失敗から目をそらして虚勢を張り続ければ、いつの間にか自分自身を見失っていく。嘘偽りのない自分から逃げ出すな、そのような教えでありましょう。
こうした心構えについては、実は極楽往生を願ううえでも大切であると説かれています。法然上人のお言葉が残されています。
はじめにはわが身の程を信じ、のちには仏の願を信ずるなり。
我が身のつたなさを嘘偽りなく省みる人を御仏は慈しみ寄り添って下さいます。寅さんが憎むことのできない愛すべき存在であるように。
参照=滝口悠生選『いま、幸せかい?「寅さん」からの言葉』(2019 文藝春秋)
教務部長 袖山榮輝