秋の彼岸を迎える頃、毎年、同じ場所に咲くのが彼岸花、曼殊沙華です。群生地では赤いじゅうたんのように広がり衆目を集めます。
突き抜けて
天上の紺曼殊沙華
山口誓子が詠んだ俳句です。澄み切った秋の空に向かって真っすぐに伸びる曼殊沙華。天空の紺色と大地の赤、そのコントラストが曼殊沙華の存在感、生命力を際立たせています。と同時に、紺と赤の取り合わせが大自然の荘厳な姿を感じさせます。天上の紺があっての曼殊沙華、曼殊沙華あっての天上の紺。そうした関係がお互いの存在を高め合う光景として詠まれています。
お互いの存在を高め合う。それは人間関係においても大切なことです。「友情は一生の宝物」といいますが、お互いを高め合う友人と出会えたならば、それは幸せな一生といっていいでしょう。お釈迦様は、
悪しき友人をたよりとするな たよりとすべきは善良な友である
と諭して下さいました。たよりにしようにも、結局は振り回されただけ、ということもありましょう。一方であの人あっての私、私あってのあの人と、互いにたよりと思える人もいることでしょう。善良な友人をたよりとすれば、人生はきっと豊かになるはずです。
仏教において最高の友人は「善知識(ぜんちしき)」といえます。仏の教えに出会い導かれる、そうした機会を与えてくれる人のことです。互いに善知識となって高め合う、どちらかが亡くなっても高め合う、そうした友人と出会いたいものです。
ちなみに曼殊沙華とは古代インドのことばで、仏菩薩を供養するための天界の花のこと。筆者の拙い知識で「美しい朝の光」と訳すことができました。
教務部長 袖山榮輝