うだるような暑さの中を、さっと吹き抜けていく涼風のことを「極楽の余り風」と呼ぶことがあります。心地良い涼風に身も心も安らぐ時、「この風の心地良さはきっと極楽浄土から吹いてきているからに違いない」と詩心を巡らした人がいるのでしょう。俳句の季語にもなっているそうです。

 「極楽の余り風」というからには、阿弥陀仏がまします西方極楽浄土にも風が吹いているというのでしょう。経典には、心地良い風が吹いていると確かに説かれています。
そればかりか、その風が極楽の樹々の間を吹き抜けては妙なる音楽を生み出し、樹々の花々を舞い上げては御仏の供養とし、徳の香りを運んで来ると説かれています。そして、その風に触れる者はみな煩悩が吹き消され心が晴れ渡るのだそうです。

 ところで極楽の風は、いつ、どのように吹き出すのでしょう。経典は次のように説いています。極楽に往生した人々は極楽での営みとして阿弥陀様の説法を聞くことになる。その説法を聞いているうちに心が晴れ渡り、人々は次々とさとりの境地に達していく。するとその都度、極楽に風が吹くというのです。極楽に吹く風は「徳風」とも呼ばれます。極楽に往生してさとりの境地に達した人々の、その功徳が風を生み出し、徳の香りを運びながら進んでいくのです。

 ブッダ(お釈 様)は、人徳の香りは自然界の風にかき消されることなく進んでいくと説きました。極楽に往生して善き人となった方々の徳の香りは極楽の風となり、この世とあの世との隔たりを突き抜け極楽の余り風となり、自然界の風を弾き飛ばしながら私たちのもとに進んでくる。
ひと時の涼風に心地良さを感じたならば、これが極楽の余り風だと詩心を巡らし、亡き方々の遺徳を偲んでみたいものです。

教務部長 袖山榮輝