天の川を挟んで離ればなれとなった織姫と彦星の夫婦が年に一度だけ会うことが許されるという七夕の伝説は誰もが知っていることでしょう。 ある年、未亡人となって久しい老婦人が七夕にちなむ一句を詠みました。

 天の川一合の米とぎにけり
           敏子

 夫を亡くし一人暮らしとなった彼女は炊飯器を1合炊きのものに買い替えたものの、毎朝、夫の遺影の前に炊きたてのご飯を1膳お供えしているそうです。何年たってもまた会いたいという思いが募る。七夕を迎え、その思いをいっそう強くしての一句です。

 出会いがあれば別れがあり、別れには悲しみがともないます。仏教はその現実から目をそらすなと諭す一方で、悲しみの向こうに仏の世界があると説きます。『阿弥陀経』によれば極楽浄土は「ともに一処に会する」出会いの世界であるといいます。

 「ともに一処に会する」世界の存在を信じ説き広めたのが、我が浄土宗の宗祖法然上人です。上人は晩年、諸事情から住み慣れた京都を追われ、弟子や信者たちと別れることになります。別れ際、悲しむ弟子たちに対し「京の都にいたとしても今生の別れはもう近い。山や海を隔てて離ればなれになったとしても、南無阿弥陀仏とお念仏を称える者同士、阿弥陀仏がまします極楽浄土での再会に何の疑いがありましょう」と仰せになりました。上人にとって極楽浄土は再会を可能とする世界にほかならなかったのです。

 今生での別れの先に、再び会うことのできる世界がある。そのことを心の糧に1日1日を大切に生きていこう。それこそが仏教的な生き方ではないか。上人はそう諭されたのだと思います。

 7月1日付で財務部長から転任し、今月からこの稿を担当いたします。よろしくお願いいたします。

教務部長 袖山榮輝