早いものでまもなくお盆を迎えます。どうぞご先祖様のご供養お願い申し上げます。
さて今月のことばは、法然上人66歳の時に著された浄土宗の教義書ともいわれている『選択本願念仏集』第16章より選んでみました。
その内容は静かに考えてみますと、善導大師の『観経疏』は西方浄土へ行くための指南であり、行者にとって目や足となる大切なものです。それならばすなわち西方浄土を願う行者は必ず尊び敬わなければなりません。
法然上人は比叡山での学問や修行、さらには南都遊学においても望む凡夫救済の道が見つからず苦悶する日々を過ごしておりました。そんなある日、中国唐時代の念仏者善導大師が著した『観無量寿経』の注釈書である『観経疏』を拝読されていた時、にわかにこの書の素意を受け止め、たちどころに余行を捨てて念仏一行に帰すことになりました。それはこの書の「散善義」に「一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定業 順彼仏願故」という文章で、特に「順彼仏願故(かの仏の願に順ずるが故に)」という文深く魂に染み、心に留めたるなりと申されています。そこでこの文章を浄土宗開宗の文と呼んでいます。
深い宗教的なひらめき、気付きやめざめとは実に不思議なもののようで突然開かれてくるのでしょうか、長い修行の下地があったのか、はたまた様々な機縁が熟したのでしょうか。法然上人はこの文章を読まれていて、にわかに胸が熱くなり涙が止まらなかったと伝えられています。
時に承安5年(1175年)春3月、上人43歳の出来事でありました。このように法然上人は『観経疏』の開宗の文により、心が大回転(回心)され念仏一行・専修念仏に帰されたことから「偏依善導」、私はひとえに善導一師によるという思いを生涯通されました。
このような法然上人の回心から来年は850年を迎えることになりました。両大師のご労苦を偲びしっかり念仏を申しましょう。
教務部長 井澤隆明