新緑の季節を迎え増上寺の境内も新たな美しさを深めております。
さて今月のことばは「鎌倉二位の禅尼へ進ずる御返事」より選んでみました。二位の禅尼は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の御台所北条政子で、夫の死後落飾され尼御台と呼ばれました。頼朝亡き後、実子頼家・実朝が征夷大将軍となったがいずれも暗殺され、京から迎えた幼い鎌倉殿の後見人となって、幕府の実権を握り尼将軍といわれた人です。この二位の禅尼が法然上人に念仏往生について質問された返信の一部が今月のことばです。
その内容は、そもそもお念仏の行は、智恵ある人、ない人を選ぶものではありません。阿弥陀様がその昔、法蔵菩薩としてご修行されていた時にすべての人々をもれなく救おうとして誓われた本願の行です。ですから、智恵のない人のためにお念仏を本願の行とされ、智恵のある人のために他の諸行を本願の行とされたわけではありません。
『無量寿経』によると法蔵菩薩は五劫という長い間、すべての人を救うにはどうしたらよいか思惟され、その後すべての人を救わない限り完全な覚りの境地には入らないと誓って発された48の本願を、すでに十劫の昔に成就され阿弥陀仏となられたとされています。
この48の本願のうち18番目が念仏往生の本願でその中心となります。なぜなら18番以外の本願は極楽浄土に関するものが多く、18番こそ極楽浄土に往生する手立てであるからです。そのお念仏に阿弥陀様は仏としてのすべての功徳を摂められました。
阿弥陀様は五劫の間、あらゆる人の煩悩具足の本質を見定められたのです。そして人間は自ら覚れない凡夫であり、その人間が構成する社会も穢土であると受け止められました。
だからこそ最高最善の浄土を建立し、そこにすべての人を往生させようとしたのです。そこには有智・無智の区別などなく万機普益、一切衆生のためのお念仏なのです。
しっかりお念仏を申してまいりましょう。
教務部長 井澤隆明