3月2日は大本山増上寺89世法主 小澤憲珠大僧正台下の晋山式が挙行されます。衷心よりお祝いを申し上げます。
さて今月は『和語灯録』に収録されている「明遍僧都との問答」より選んでみました。明遍僧都は空阿弥陀仏と号し、東大寺や興福寺を中心に活躍された学僧です。また『勅修御伝』によると大原問答にも参加されたという。この明遍僧都との問答は、末代の衆生が生死を離れる方法や念仏と妄念の関係についてが中心であったが、法然上人の答えに明遍僧都は納得して帰られたという。
ところで今月のことばは明遍僧都が、末法の乱れた時代、私たちのような罪深い愚かな凡夫はどのようにしたら往生できるでしょうか、という問いに対しての答えであります。法然上人は、心が乱れ散ってもお念仏を称えれば、阿弥陀仏のご本願によって必ず往生することができると心得ています。ただ詮じつめれば、大らかに念仏を申すことが一番ですと答えられました。ここで大切なことは、阿弥陀仏のご本願を信じ大らかに念仏すべきという言葉です。私たちはややもするとお念仏を理屈に縛られたり、型にはめたり、小さなことにこだわったりして、なかなか素直に称えられないものです。しかし法然上人は詮じつめれば大らかに念仏することが一番と申されていますが、これはどのような念仏でしょう。
例えば法然上人75歳の時四国に流罪となりますが、別れの折高齢の身を案じて悲しむお弟子たちに、今まで長年京都において念仏教化を続けてきたが、この度事によって四国に行って念仏の教えを説けることは実にありがたいことである。朝恩(朝廷のご恩)であると喜ばれたと伝えられています。普通あれば朝廷との間に使者を立て和解を探るとか、いろいろな対応を行ったりするものです。しかし法然上人は、このようにくよくよ、こせこせしない態度であるのは、心の中に阿弥陀様をしっかり受け止め、バックボーンとなり、お念仏によって人生が支えられているからでありましょう。
人生は喜怒哀楽とは申しますが大らかに念仏を申して日暮らしたいものです。
教務部長 井澤隆明