法然上人のお伝記で総本山知恩院に収蔵されている国宝の『勅修御伝』第28巻には、武蔵国の御家人津の戸の三郎為守が、建久6年に東大寺再建の落慶法要に参加する、時の将軍源頼朝のお供をして上洛した折、為守は法然上人庵室を訪ね、これまでの合戦の罪を懺悔し救われる道を求めて以来、専修念仏者となられたことが述べられています。
その中に為守が故郷に帰り日々念仏を申していたら、周囲の人が為守は無知なので他のいろいろな修行ができず念仏だけを称えているのだ。智慧ある人にはお念仏以外の教えもあるのだと言っているのを聞いて、法然上人にこのことをお手紙で質問されたことに対してのご返事の一部が今月のことばです。
さてその内容は、早くお念仏を申して極楽に往生してさとりをひらいて現世に帰り、お念仏を誹謗する人や信じない人をも導いて、さらにはすべての人々をも往生させようと思うべきですとなります。
ここで特に大切なことは、早く極楽浄土に往生してさとりをひらき、生死にかえりてという言葉です。多くの人はいのちは一度きり人生は一度だけと考えていますが、仏教はそうではありません。輪廻転生といって生まれては死に、また生まれては死ぬことを繰り返すのです。六道輪廻といって地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の世界を、それぞれの時の業によって生まれ変わり死に変わり永遠に続くのでこれを生死というのです。
また生死を繰り返し六道輪廻する世界はすべて苦の世界で、これを超えた世界がさとりの世界であります。だからこそ早く念仏申して極楽浄土に往生し、さとりをひらき仏となって、この苦の世界に帰って多くの人を救う者にならなければなりません、といわれるのです。
ここに浄土教が大乗仏教の特色である大乗菩薩道つまり自利利他の精神が展開するのです。
法然上人は多くの場合何よりも往生することを第一に説かれておりますが、利他行を実現するにはまず往生することが先決だからです。
しっかりお念仏を申しましょう。
教務部長 井澤隆明