お知らせ

浄土宗開宗850年奉賛局だより(6月)

2024.06.01

語り継ぐ、あるいは語り継がれる 〜前篇〜

 桜の開花が遅れたことで、増上寺浄土宗開宗850年慶讃会・令和6年度御忌大会は桜花爛漫の中で行われ、無事円成致しました。コロナの影響が薄らいだこともあり、期間中境内は多くの人で賑わいました。ご参詣いただきました皆様、慶讃事業にお力添えをいただきました方々に甚深の謝意を申し上げます。

 慶讃会や御忌の法要は、準備から本番、後片付けまで多くの方々が関わっており、それぞれお役目を果たして成り立つものです。私の役目の一つに、行列を大殿正面でお迎えするというものがあります。浄土宗開宗850年の節目の年に、ある種感慨深くその勤めを致しました。

 境内には行列を珍しげに眺める人、僧侶方に手を合わせる人々。三門から散華が舞い降りるとそれらの人たちからワーッと歓声が上がります。キラキラと陽光に輝く散華に見とれていた時でしょうか、心地良い一陣の風が吹き抜けていきました。すると時代を遡ったように周囲の現代的な建物もグラント松も視界から消え、車の行き交う音や緊急車両のサイレンといった都会の喧騒も聞こえません。そこには、木遣りと詠唱の声のみが響き、寺侍と僧侶の行列だけが整然と歩みを進めているかのような不思議な光景がありました。まるでそれは4月に公開した、『東都歳時記』(天保9年)に描かれた御忌の行列に近いものでした。

 庭儀台に昇られた慶讃導師・唱導師様も、本尊阿弥陀様に導かれ、ひたすら法然上人に向かい歩まれるうちに、東京タワーも麻布台ヒルズもない、ただ大殿だけを見ていたのではないかと想像したところです。

 想いを850年前まで巡らせれば、比叡の山から駆け下りた法然上人の胸中は「一心専念の文」から凡夫往生の教えをいただいた喜びに満ちていたのか、あるいは専修念仏の教えを広める難しさといった思いに占められていたのでしょうか。

 浄土宗の教えが850年続き、その正当の年の行列や法要に身を置くことで、過ぎし時に想いを馳せ、法然上人の門流にあることを実感できたのではないでしょうか。

奉賛局部長 中村瑞貴