一寸先を光に

 二年近く続くコロナ禍。ここまで長く続くとは思いませんでしたし、外出など行動が制限されることにより肉体的にも精神的にも様々な辛さがございます。

 一寸先は闇、という言葉がありますように、私たちはいつ、どこで、どのようなことに遭遇するのかわからない世界で生きております。

 ある日、お参りのお檀家さんに「皆さんお変わりありませんか?」とお聞きしますと、「いつもの生活が当たり前だと思っていたけれど、そうではないのだね。普段通りの生活が送れることはありがたいことだったと初めて気が付いたよ」とおっしゃいました。どうしてそのような気持ちになったのかをお尋ねしますと、買い物に出かければ周りが気になり、家にいると不安で考え込んでしまい体調を崩されてしまったとのこと。そんな時にふとお仏壇を見上げると阿弥陀様と目が合った様な気がして、自然に手を合わせお念仏をお称えされたそうです。すると、少しずつ落ち着きを取り戻すことができ、心にゆとりができて普段通りの生活がありがたいと思えるようになったとお話しされました。

 私たちが日頃お念仏をお称えするのは、亡き方への追善のご供養と、自らの極楽浄土への往生を願うものでありますが、それだけではなく、ありがたいということに気付くことができる心にしてくれるのもお念仏であると思います。

 普段生活をしていても気が付かないかもしれませんが、私たちの人生において苦しい時に、すがれる存在として阿弥陀様を見上げることがあったなら、目を合わせて下さる。私たちの傍らにいつでもいて下さるのが阿弥陀様であります。

 「当たり前」という考え方から「ありがたい」という考え方に変えることができるお念仏をお称えして、心穏やかな生活を続けていくことで、一寸先を光にできるのではないでしょうか。お念仏の功徳を多くの方に知っていただき、光を見つけて大切な毎日を過ごしていきたいですね。

本山布教師 中野良平
東京教区 念佛院