お念仏と共に
初めて経験する目に見えない不安に日本中が身構えてから、二度目の夏を迎えました。日々の過ごし方に戸惑うこの頃ですが、安心できる生活の仕方はなかなか正解が見えないようです。
法然上人のお言葉に『現世を過ぐべきようは、念仏の申されん方によりて過ぐべし。念仏の障りになりぬべからん事をば厭い捨つべし』とあります。
これは、私たち念仏者のこの世の生き方は常にお念仏を称えやすい生活を心掛けて、その環境を整えましょうというお諭しです。
先日、このようなお話を聞きました。あるお寺さんで行事も縮小・延期と続く中、熱心にお墓参りを欠かさぬ一人の年配の男性がおられるそうです。
大勢で集うことが憚れる時ですから、お檀家さんと直接お話をする機会も少ないので、ご住職はお声を掛けてみたそうです。
「お久しぶりですね。大変な世の中ですが、お変わりはありませんか」
とお尋ねすると、
「いやいや住職さんこそご苦労がおありでしょう。世の中は変わりましたが、妻が亡くなってからというもの、私の生活は何も変わりありません。本当に早く収束してまた法要に参加したいものですが、今はなるべく余分なことはせず、まわりに迷惑をかけないよう体調に気をつけています。お念仏をさせてもらいながら墓参りが日課です。仏さんと話すことが安心です」
と答えられたそうです。私はこのお話を聞いて、この男性がとらわれのないお念仏中心のささやかな生活によって、阿弥陀様に守られていると思いました。
健康を守るために一番大切なことは、心を平ら に保つことだと思います。私たちがお念仏をお称えするのは、亡き方への追善のご供養とともに自らの往生極楽を願うことですから、自身がまず心身ともに平穏無事でなければ、そのお勤めを続け ることができません。
落ち着いて身を守る生活がそのまま周りの人たちの安全につながる今だからこそ、お念仏をお称えし、心も暮らしも整えてまいりましょう。
本山布教師 石井孝之
静岡教区 大頂寺