極楽浄土での再会
数年前、中学校の同窓会に参加しました。卒業以来、十数年ぶりに会う友人もおり、懐かしく楽しいひとときを過ごすことができました。別れ際には、また開催して欲しいとの声が多く挙がり、再会を約束しました。
私は昨年、家族ぐるみでお世話になっていた方とのつらい別れがありました。病が見つかってから、つかの間の別れだったため、時間が経った今でも、なかなか心の整理がつかず、その人がいないことが信じられなく、寂しい気持ちがあります。
『阿弥陀経』の一説に「倶会一処」という言葉があります。命あるもの、いつか終わりがやってきます。私たちもいつかはこの世を去らなければなりませんが、その時には極楽浄土で親しい方々と、またお会いすることができるのですよと説かれています。法然上人は、あるお手紙でこのように書かれております。
「私もあなたも同じ阿弥陀様のお浄土へ往生して、そこで出会うのだということを、よくよく心得て下さい。お浄土の蓮台で、この娑婆世界での思い出話に花を咲かせ、それまでの因縁について語り合いましょう」(『正如房へつかわす御文』)
この世での約束は果たされないこともありますが、お浄土での再会は間違いないのです。人との別れは大変つらく、苦しいものです。大きな悲しみが癒えるのに、時間がかかることもあります。しかし、お念仏のご縁で結ばれた私たちには、それは永遠の別れではないのです。法然上人が説かれたように、いつかお浄土での再会が待っていてくれることは、私の大きな心の支えになっています。
昨年から新型コロナウイルスの影響により、私たちの生活が大きく変わり、不安な日々が続いています。しかし、どんな時代でも変わらない教えがあります。それが二千五百年以上、脈々と伝えられてきた、お念仏のみ教えです。
このような大変な時代だからこそ、誰もが救われる阿弥陀様のお救いを信じ、この尊いお念仏を続けてまいりましょう。
本山布教師 竹内正俊
茨城教区 安養寺