忍終不悔
2019.07.01
昭和20年3月10日未明、東京大空襲。帰省先の群馬から上野駅に降り立った17歳の少年には忘れられない悲惨な光景が広がっていました。至る所でいまだ燻る火を飛び越え、路傍に横たわる多くの遺体を避けひたすら歩いたといいます。
今年2月に91歳で他界した、自坊の檀徒総代を約半世紀にわたり勤めて下さったKさんの話です。
当時学生だったKさんは、兄の戦死により実家を継ぐことになりました。既に他界していた両親に代わり、村長を務めていた祖父から「人が先、自分が後」「常に周りの人のことを考えろ」と厳しく教えられたそうです。のちに神社や寺の総代、町会議員などのあらゆる役職を率先して引き受けました。Kさんの葬儀で弔辞を読んだ方が当時を振り返り、「地域のために尽くすその姿は、とても頼もしいリーダーであった」と評されました。
『無量寿経』「歎仏頌」に、法蔵菩薩が覚者世自在王仏の前で「たとえ身は、もろもろの苦毒の中に止まるとも、わが行精進して忍んで終に悔ざらん」と、我々のために気の遠くなるような時をかけ、何が何でもやり遂げる決意をされました。そして終に大願を成就された仏様が阿弥陀様なのです。
令和という新しい時代の幕が開けました。「自分らしさ」が尊重される昨今ではありますが、果たしてただ自分を見つめるだけで本当の自分が見つかるのでしょうか。阿弥陀様に見られる他者救済の心は、我々も大切にしなければならないでしょう。なぜなら他者がいきいきとして初めて自分がよりありありと見えてくると思うからです。
我々凡夫を優しく見守る阿弥陀様に感謝して、これからもお念仏をお称えし、悔いのない人生を送りたいものです。
本山布教師 長田正澄
群馬教区 清見寺
三分間法話