「音」の縁、念仏の声

 私の地元、北海道釧路市は桜前線の終点です。例年通りならば五月の二十日前後に蝦夷山桜が咲き始めます。次いで裸の落葉樹に若葉が顔を出し、6月中旬には青々とした葉を茂らせます。この頃やっと風に木の葉のそよぐ音が聞こえ始め、短い夏の到来を予感させるのです。皆様は身の回りの「音」を普段から感じていますでしょうか。

 外に聞こえる鳥の声、人の話し声、車の走る音、道路工事の音、何気ない生活音も時には感慨深く感じることがあると思います。幼き日の思い出が、音をきっかけにふと頭に思い浮かぶこともあるでしょう。それは音によって当時の身の回りの雰囲気を思い出し感動されたのです。もちろんお寺の「音」もあります。お経の声や鐘の音、木魚の音、雅楽の音色。また、大勢の人がお寺に集まるざわつきや静寂の音までも、皆様それぞれ感慨深く思われることがあるでしょう。

 宗祖法然上人は、声を出してお念仏を唱えることを浄土宗の柱とされました。それは「我が名を呼べば必ず我が浄土に迎えとる」というご縁を実現された阿弥陀仏のお力に、私たちが救われる確かな根拠を見出されたからです。三代目良忠上人は「心に佛忘るるとき、口に佛名となうれば、その声、耳に入りて、わが心念を引き起こす。心念もし起これば、この念また声をすすめて、佛名を唱えしむ。念は声をすすめ、声は念をすすめて、常に佛を忘れず。」と仰せられました。自分のお念仏の声が信心を深め、信心が深まったことによりまたお念仏の声が進み、常に仏を忘れることはなくなるというのです。

 お寺の「音」で最も大切なのが念仏の声です。このお念仏の声をお寺の中でだけとするのではなく、毎日の皆様のご家庭の生活音として下さいませ。お念仏を声に出して唱えることは、阿弥陀仏のお力を信じ極楽往生が決定することであり、救い主の阿弥陀仏を始め、先に往生された大切な方をも常に忘れなくなる不思議な「音」のご縁なのです。

本山布教師 藤井敬亮
北海道第二教区 大成寺