こころは同じ 花のうてなぞ
南無阿弥陀仏 新年明けましておめでとうございます。本年も皆様にとりましてお念仏とのご縁がなおいっそう深まりますよう心よりご祈念申し上げます。
年が明けますとその分だけ人は一つ歳を取ります。それはつまり己の死が近付いているということを表すわけです。死は誰しもに訪れる平等に与えられるものです。
禅僧の一休さんは正月に竹竿の上に骸骨を掲げて京都の街中を練り歩いたそうです。そして「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とおっしゃられたそうです。真にその通りとは思ってもどうしても私たちは死については敬遠してしまうものです。本当ならそんな嫌なことは考えたくもない、そう思うのが私たち生きる者の本音ではないかとは思います。とはいえ死は決して避けることができないのが現実です。
先日私はお檀家様のお祖母様が東京の病院に入院なさったのでお見舞いまいりました。お祖母様から生前中にお戒名を付けてほしいというご依頼でしたので、病室にて三時間くらい今までのご自分の生涯を伺いました。そして一週間お戒名を考えて再度お見舞いに伺いました。そうしたらお戒名を納得なさっていただいて本当に喜んで下さり、これで安心しましたから頑張って退院できるように治療します、とおっしゃっていただき別れ際に、またまいりますから今度はご自宅でお会いしましょうね、とお約束して失礼させていただきました。
その七日後娘様から、今亡くなりましたとご連絡いただいたのです。あまりにも元気でしたからてっきり退院かと思いましたが、あまりに突然のことで私にとって真に青天の霹靂です。
法然上人の御歌「つゆの身はここかしこにて消えぬともこころは同じ花のうてなぞ」そう思い真心込めてお念仏おとなえさせていただきました。
必ず阿弥陀様の極楽浄土に往生しお祖母様と再会の喜びを分かち合いたいと切に願ってやみません。
至心合掌 南無阿弥陀仏
本山布教師 東 好章
栃木教区 一向寺