日々おこたらず
私が住んでいる青森県弘前市では、8月に「ねぷた祭り」が行われます。毎年、今頃の時期になると、どこからか囃子の練習をする笛の音が聞こえてきて、夏の訪れを感じさせてくれます。
「ねぷた」という名前の由来は、津軽弁で「眠い」を意味する「ねぷたい」が語源であるという説が有力です。
夏の農作業の妨げとなる眠気や怠け心を、ねぷたの灯篭に乗せて流し清める行事が、ねぷた祭りの始まりと言われています。眠気や怠け心を追い払って、心身ともに清らかでありたいという人々の切なる願いが、この祭りを生んだのでしょう。
このことからも、私たちの心の弱さがもたらす煩悩が、古来よりいかに私たち自身を悩ませ、苦しめてきたかということがわかります。
煩悩がある限り、私たちは罪を犯し、迷い、苦しみ続けなければなりません。そこから逃れるには、厳しい修行を積んで煩悩を絶ち、さとりを開いて自ら仏となる以外にないのです。
しかし、煩悩によって心を乱され、すぐに欲に流されてしまう私たちには、修行を積んでさとりを得ることなど到底叶いません。
阿弥陀様は、そんな私たちを救うために、私たちが仏になるための場所として極楽浄土をお建てになりました。そして、全ての人々が極楽浄土に往生するための方法として、誰もが修めることのできる「お念仏の行」を授けて下さいました。
しかし私たちは時として、誰もができるこのお念仏の行ですら怠けてしまう時があります。
法然上人は、「私たち人間は、ともすればお念仏を称える心が薄れてしまうものです。ですから、しっかりと心してお念仏に励まねばなりません。どこにいても、一遍でも多くのお念仏を日々お称えし続けることを決して忘れてはなりません」と仰っています。
心の弱い私たちが唯一救われる道が、このお念仏です。ですから、お念仏をお称えすることだけは、往生が叶うその時まで決しておこたることなく続けてまいりましょう。
合掌
本山布教師 赤平明導
青森教区 貞昌寺