法爾の道理
本年も、春爛漫、増上寺様の法然上人御忌大法要より数日が過ぎ、五月の新緑の季節をお迎えしました。今年も間もなく夏を迎えますね。日々の称名、お念佛、御家庭の興隆、ありがたく存じます。
五月「皐月」とは、別名を「早苗月」とも申し、諸説ございますが、田植えの時期を表す言葉であったり、神様、佛様に捧げる稲の意をいただきます。
実りの秋に向かい最初の一歩をいただく過ごしやすい季節となりました。
元祖大師法然上人御法語 前篇第二十八「来迎引接」に、「法爾の道理と云うことあり。炎は空に上り水は下り様に流れる。菓子の中に酸き物あり、甘き物あり。これらみな法爾の道理なり。」と、法爾の道理とは「動かしようのない自然の道理」を表します。
たとえば、炎は、空に向かって昇り、水は低い方に流れます。果物の中には、酸っぱい物もあれば、甘い物もありますね。
阿弥陀様の本願は、「名號によって、罪悪の衆生を救済しよう」と誓われたものですから唯ひたすらに、南無阿弥陀佛と、お念佛を称えれば、命終わる臨終の時には、阿弥陀様のお迎えは「動かしようのない自然の道理」であり、疑いありません。
日々、お称えいただく、お念佛により、阿弥陀様の西方極楽浄土への往生は動かしようのない絶対の法則である、との法然上人のお言葉であります。
日々生活に追われ、何かにつけて、文句ばかりを申す私です。また、相手を罵ったり、心を傷つけてしまう、この「身、心、口」で、その身そのままで、お称えする「南無阿弥陀佛」佛様のお心をいただき清らかにさせていただく、季節の花のもと、月の前、雨の夜、雪の朝、夕日の沈む西を思い、佛の御名を称える。無始の霜露は舌の上で消え、順次の蓮臺は念の内に定まるのです。
新緑の季節、益々にお念佛を称え称えの生活を送らせていただきたいと存じます。
合掌
本山布教師 御園善康
長野教区 西教寺