寄り道をせず極楽浄土に

 五月の初めに京都の知恩院へお檀家さんと団体参拝をしました。その帰り道、ちょうど宇治の平等院鳳凰堂が修理を終えたところで参拝させていただきました。休日ということもありたくさんの観光客で賑わっていましたが、鳳凰堂は千年前の厳かな雰囲気を変わらず今に伝えていました。

 「藤原頼通(ふじわらのよりみち)がもしも法然上人の時代に生きていれば、寄り道せずに真っすぐ極楽浄土へ行けたでしょう」

 説明の中で、お檀家さんに半分冗談で申しました。

 平等院は一〇五二年、頼通によって建立されました。法然上人がお生まれになられたのが一一三三年ですから、それより随分前のことです。

 頼通の時代は『末法思想(まっぽうしそう)』といって、お釈迦様が亡くなられた後の時代は仏教の教えが弱まり世の中が乱れる。その時代の始まりが一〇五二年だ、という教えが信じられていました。お念仏の教えも存在していましたが、観想念仏(かんそうねんぶつ・極楽の様子や阿弥陀仏の姿を心に鮮明に思い浮かべる)という難しい修行でした。頼通はそのような時代の中でこの世界に実体験できる極楽浄土を作ろう、そうすることで心に思い浮かべやすくしよう、という思いで建立しました。

 そのようにして平等院は大変な資金と労力で建立されました。当時の仏教の教えではそうでもしないと救われることができないと信じられていたのです。お金や権力や知識のある人だけが救われる、貴族のための仏教でした。

 法然上人はそんな時代にすべての人が救われる道を求め、そうして専修念仏の教え(せんじゅねんぶつ・南無阿弥陀仏とお称えするだけでどんな人でも救われる)やさしい教えに出会われました。貴族のためでなく庶民のための仏教を広めるため浄土宗を開かれました。

 法然上人がお示し下さった専修念仏の教え、極楽浄土への一本道。私たちは寄り道せずに真っすぐに歩みたいものです。

本山布教師 棟久晴雲
愛媛教区 誓重寺