出世間
先日、市内のホテルで法事があり僧侶の姿で法事会場に向かっているとすれ違う人に会釈をされることがありました。私服で歩いていてすれ違う人に会釈をされることはまずないので、身につけている服装の影響力を改めて考えさせられました。
思えば私たちは人を見るときに相手の着ているものをはじめ、地位や名誉、役職や肩書き等で判断をすることが多分にあるのではないでしょうか。だからこそ人は身だしなみを気にし、立身出世を望むのかもしれません。
しかしながら私たちは命終われば身につけているものはもちろん、それまで自らが築き上げてきた地位や名誉、役職や肩書き、さらには家族や財産等の一切をこの世に置き去りにしてたった一人で死後の世界に旅立たなければなりません。悲しいかな長くて短い生涯をかけて築き上げた様々な名利は死後の世界において確実にたよりとなるものではないということなのです。
では死後の世界においてたよりとなるものは何でしょうか。それはとにもかくにもお念仏の日暮らしです。阿弥陀さまのお迎えを信じ、お念仏の生活を始めたその日から念仏信者は死後の迷いの世界を彷徨うことなく、間違いなく阿弥陀さまに導かれて極楽浄土に往生するのです。
出世間(しゅっせけん)という仏教用語がありますが、煩悩にまみれたこの迷いの世界から抜け出すことを意味します。大切な家族のために出世をして財産を残すことは人生の大きな糧となり生き甲斐となりえますが、やはりその家族ともいつかは離ればなれにならなければいけません。だからこそ家族共々にこの迷いの世界から抜け出すために、極楽往生を目指してお念仏をおとなえしていく日々こそが最も大切なことなのです。同じ出世でもぜひとも迷いの世界から離れる出世間を目的に、念仏をたよりとして共々にお念仏の日暮らしを生きてまいりましょう。
本山布教師 丸山孝立
北海道第二教区 龍雲寺