備えあれば憂いなし
今年も、だんだんと残りが少なくなってまいりました。私が住んでいる福島県でも、車のタイヤをノーマルタイヤからスタッドレスタイヤに履き替えたり、冬物の洋服をタンスから出したりと、そろそろ冬支度の準備に取り掛かり始める季節になりました。
月日が経つのは早いものです。広い範囲に多大な被害をもたらした東日本大震災から四年半以上が経過しました。この震災で、私自身も色々な体験をしました。一番不安だったことは、食料品や飲料水、車のガソリンなどがどこに行っても品不足で、思うように購入できなかったことです。この時ほど、生活必需品を備蓄しておくことの大切さを感じたことはありませんでした。
また、この震災でたくさんの方がお亡くなりになりました。人の生死に関わる様々な惨状を見聞きして、「命のはかなさ」を痛感せずにはいられませんでした。それまでごく普通の穏やかな生活を送っていたとしても、ひとたび災害が起これば、次の瞬間どうなってしまうかわからない私たちであると思い至ったのです。それ以来、自分の人生についても今まで以上に良く考え、備えをしていかなくてはならないと感じました。では、人生における備えとは何なのでしょうか。
浄土宗を開かれた法然上人は、次のようにおっしゃっています。「人が死ぬ時のことなど、日ごろの考え通りにいくものではありません。往来で突然倒れて死んでしまうこともあれば、お手洗いで用を足している最中に死んでしまうこともあります~(中略)~火事のために、あるいは水に溺れて命を落とす人も多くいます。しかし、たとえそういう死に方をしても、日頃からお念仏を称え、極楽へ往生したいという心さえ持っている人ならば、今まさに息が絶えようとしているその時に、阿弥陀様は観音菩薩や勢至菩薩と共にお迎えに来て下さるのだと信じるべきです」。法然上人のこのお言葉をしっかり心にとどめて、ともどもお念仏を申して参りましょう。
合掌
本山布教師 大嶋憲彰
福島教区 西念寺