飾らない心で......
「先代さん、住職、副住職、3代にわたり、このお寺で阿弥陀様とご縁を結ばせていただき、お念仏をお称えさせていただいていることが、私の一番の幸せ。」
私を入れて、3代の間当山をお支え下さり、101歳になられるお檀家様のお言葉です。特に、ご先祖様を大事にされるお家柄であり、心の底からお念仏をお称えすることを何よりも大切にされております。
日頃、お念仏されているお姿と冒頭のお言葉とが重なり、「毎日、本当に素直な気持ちでお念仏を称え、ただただ阿弥陀様の極楽浄土への往生を信じて南無阿弥陀仏と申されておられるのだな」と感じさせていただいております。そして、私自身の称えるお念仏は、極楽浄土への往生を心から願い、お称えできているのだろうかと改めて反省しました。
法然上人がお詠みになられた『往生は よにやすけれど みな人の まことのこころ なくてこそせね』というお歌があります。「往生することは、いともたやすいはずなのに、極楽浄土への往生を願いながら、すべての人が往生できないのは、往生したいという誠の心をもって、お念仏していないからである」という教えです。このお歌の中に、偽り飾り、愚かな心を戒めておられます。
しかしながら、私たちは人目を飾ることばかり、常に自己弁護に終始しております。偽り飾りは、仮のもの、空しいもの、愚かなものであり、いつか必ず崩れてしまいます。
だからこそ、飾らない誠の心で称えるお念仏が最も大切であり、極楽浄土へお救いお導き下さる阿弥陀様に、おすがりし、お任せするのです。難しいことは何一つなく、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、お念仏を称える中に、誠の心が芽生えるのであります。
今私たちは、かけがえのないお念仏のみ教えをいただいて歩んでおりますので、飾らない心で共々にお念仏をお称えして参りましょう。
本山布教師 米津亮信
静岡教区 龍宝寺