今を生きる私たち

 早いもので、気が付けば年が過ぎ、各地で雪の降り積もる季節となってまいりました。

 思い返せば昨年は、浄土宗開宗850年という記念の年に当たり、本山はじめ我々僧侶や檀信徒一体となって大いに盛り上がった年でありました。一方で、年始より能登の震災に始まり、猛暑や選挙といった国内での動きだけでなく、オリンピックや大リーグでの各種日本選手の活躍や国際情勢の動き、戦争等々......哀しい出来事もあれば、心躍る出来事も数多くありました。

 今後、私たちは令和7年という新しい年を生きてまいります。それはまた、様々な出来事が起こっていくことと同意でもあります。去年を顧みて、激動と称する人も居るでしょう。しかしながら、激動でなかった年は早々にあり得ないものでもありましょう。日々を生きていく中で、過去を悔やんでも私たちにはそれを取り戻すことはできず、未来を不安視したところでそれはまだ確定もしていないことであります。

 そんな、私たちの心の迷いに、時の大本山増上寺法主でもありました椎尾弁匡大僧正はこんな歌を残しておられます。

「時はいま ところ足もと そのことに
       うちこむいのち 永久の御命」

 自分の手でどうしようもないことを思い悩んでも仕方なく、私たちはどうあっても「今」をまっすぐ前向きに生きていくことが大事である。今、目の前にある一瞬を大事に、一生懸命打ち込むことこそが大事であり、そうして足元をしっかりと踏みしめて努力する姿勢が、今だけでなく、先に続く永久の御命になるのだと。そう詠われております。

 また、そのためにも、お念仏をお唱えすることは大切でございます。何度もお念仏を重ねることで、阿弥陀様に以後のことを全てお任せし、私たち自らが終わる時はきっと迎え入れてもらい、先のことに思い煩うこともなく、今という時をしっかりと生きることにつながるのですから。

 それこそが今の時代を生きる私たちにとっての一つの答えではないのでしょうか。

合掌

本山布教師 本多遵明
岐阜教区 如来寺