法然様の思い
今から、850年前に法然様が浄土宗を開宗されました。それはなぜか?
「凡夫の往生を示さんがためなり」。その一点でございました。法然様、9才の時に、父、時国公が非業の死を迎えるのでありますが、その時の遺言、「恨みに恨みを持つことなかれ。解脱を求め、万人が救われる道を示せ」と。その時の体験は脳裏に刻まれ、この遺言が一生を通じて、法然様の根本にありました。「父の遺言忘れ難くして」は、常に仰せの言葉であったといいます。その当時の仏教は、戒律を守る、精神を集中して心を散乱させないこと、煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得すること、その「三学」を修めなければならないという教えでありました。それらを修めることのできない我々を「凡夫」と申します。凡夫でも修めることができる行とは何か。比叡山にての苦節34年、中国唐時代の高祖善導大師の注釈書により「阿弥陀佛の本願に順ずるが故に」の一節、ついに念仏の教えに出会われたのであります。「我が名を称えよ。必ず導かん」であります。私たちのような凡夫に手を差し伸べて下さる、阿弥陀如来のどんな者でも我が名を呼べ、さすれば我が極楽浄土へ救い取るぞの、お誓いでありました。
平安鎌倉時代の人々は、災害や戦、飢饉、疫病で苦しみ、生きていくことでさえ大変でありました。現代を生きる私たちはどうでしょうか? 現代は、物質的には確かに豊かになりましたが、自然災害の前では、人はなす術もなく、ニュースを見れば毎日、殺人、詐欺、介護問題、格差社会等々、苦しみや不安を抱えながら生きる私たちであります。過去世より、苦しみの世界をさまよってきた我が身であります。
「凡夫の往生」を示して下さった法然様、凡夫である私たちだからこそ、「来世は、苦しみの世界から脱け出し、極楽浄土に往生させていただけますように」と、共にお念仏をお称えしてまいりましょう。
本山布教師 工藤敎雄
青森教区 悟眞寺